説明
9 つの島からなる北大西洋の火山島郡で 1720 年のピコ島、1957 年のファイアル島での大規模な噴火が記録されている。14~15 世紀頃に発見され、ブドウも同時期に栽培が開始された。アンドレ・ジュリアン(フランス人の最初のワインライター)の 1812 年の報告によると、9 つの島から合わせて 1340 万 L のワインが生産され多くが輸出されていたらしいが、2200 万 L だったという説もある。しかし多くのワイン産地同様、ベト病やフィロキセラ禍が島へと伝わり、諸島全体からブドウ畑はそれにまつわる文化と共に姿を消し、ハイブリッド品種で細々と自家消費ワインを造り、アメリカ台木を利用して地品種の栽培を続けるという 20 世紀後半まで続いた。
最大の島はサン・ミゲル島には人口の約半分の 13 万人が住んでいる。各島にそれぞれの特色はあるが、現在は酪農が盛んで諸島の総面積の半分が牧草地たちとなっている。その他トウモロコシやパイナップルの栽培も盛んだが、近年は観光業が島民の生活を大きく変えている。ワイン産業はピコ島が主要ではあるものの、テルセイラ島、グラシオーザ島、ファイアル島、サォン・ミゲル島、などでもブドウ栽培はされており、諸島全体で 36 のワイナリーがある(2023 年)。
ピコ島に行くと石壁(クライシュ)の入り組む海辺のブドウ畑の姿に圧倒される。石壁の長さは合計 8万 km、地球二周分の長さがあると言われ、2004 年に「ピコ島のブドウ畑文化の景観」(987ha の畑)がユネスコ世界遺産に登録されたが、その実ブドウ畑として機能していたのは 140ha ほどだった。しかし歴史を紐解くと、島外からのベト病やフィロキセラ禍の伝来により、20 世紀初めにはピコ島のワイン産業は風前の灯だった。1949 年に協同組合が設立はブドウ栽培文化の復活の第一歩と言うことができるだろうが島全体として大きくワイン生産量が増えたわけではない。しかしそれに合わせて行政が支援策を打ち出したことにより、島外からのワイン技術者の注目を集めるようになり、次第に生産量は増えていく。2011年時点で 20 万 L のワインが生産され、それ以降も着実に生産量は増加。2014 年にはアントニオ・マンサニータを含む有志達によりアソーレス・ワイン・カンパニーが設立。その後も島内外からのピコ・ワインへの機運は高まりつづけ、2022 年時点で 70 万 L の生産量となっている。
現在ピコ島には 1000ha 弱のブドウ畑が生産体制にあるそうで、さらに 2000ha の耕作放棄された畑が残っている品種の多くはアリント・ドシュ・アソーレスが植えられており、よりマイナー品種であるヴェルデーリョやテランテシュなどの地品種の再興の動きも見られる。2010 年代前半にはポルトガルワインの文脈にはついぞ見かけられなかったピコ島のワインだが、2020 年代に入りその特異な歴史とワインに光が再び当たり始めた。
アデガ・ド・ヴルカォン(=火山のブドウ園)は、アソ―レス諸島に魅せられたフィレンツェ出身のチンツィアとジャンニの夫婦が始めたプロジェクト。始まりの場所は 1957 年にファイアル島の海中噴火により形成されたカペリーニョス火山の近く。噴火時に火山から1年以上に渡り降り注いだ大量の砂と灰が土地を覆い、島の産業は一時完全に止まってしまった。しかし 2008 年に両人が訪れた時には、ワイン栽培地として非常にユニークなテロワールがあることを確信し、ブドウを植樹することを決断。アソーレス諸島でのワイン造りをすることに決め現在はピコ島とファイアル島の2つの島で合計14haの畑を所有する。ピコ島のブドウは重要地域であるクリアサォン・ヴェーリャ地域の 3ha 分の古樹のブドウからもワインを造る。
ワイン醸造は 2017 年からのことで、トスカーナを始め世界各地で醸造コンサルタントとして活動するアルベルト・アントニーニ監修の元で栽培を行い、家族2世代でワイン生産に取り組んでいる。生産工程全体を通してできるだけ自然な方法を用い、「ワインが生まれる土地の真の姿を表現するワインを造ること」を目標に、2 つの島の 2 つの異なる火山性テロワールを表現する。




